鯉のぼりとは?
鯉の滝登り
こいのぼりは、江戸時代に町人によって生まれたものです。
当時端午の節句には玄関などに幟(のぼり)を飾る習慣があり、ある時その幟に「登竜門」にあやかって「鯉」を飾った人がいたそう。
それがうけて広まったのですね。
登竜門といえば中国の李膺伝(りようでん)に記されている伝説で、「竜門」という滝を登ることができた鯉が、龍になれるという話です。
昔「李膺」という偉い官僚がおり、彼に認められた者は必ず出世する、ということを竜門の鯉に例えて「登竜門」と呼んでいたとか。
江戸の人は息子の「立身出世」をこの登竜門に重ねて、鯉のぼりを飾ったんですね。
初期の鯉のぼり
当時の鯉のぼりと、現在の鯉のぼりは少し異なります。
当時は長男のための真鯉一匹のみで、和紙でできていました。
当時の様子は歌川広重の「名所江戸百景」で見れますが、かなり大きく立派です。
和紙でできているとは思えない優雅さですね。
町にたくさんの幟が立っているのが見えます。
童謡「こいのぼり」
「やねより たかい こいのぼり」という昭和6年に作られた曲がありますが、「小さい緋鯉はこどもたち」という歌詞に疑問を持っていました。
「緋鯉」は「お母さん」じゃないのか問題です。笑
実は、江戸時代には真鯉一匹だったものが、明治時代には緋鯉も加わり「真鯉」が父、「緋鯉」が子どもとなっていたそう。
昭和30年代以降にやっと「青鯉」も加えられ、父、母、こども達という家族を表すものになったんですね。
吹き流しと矢車、天球
鯉の上に飾られている五色の吹き流しは、滝を表しています。五色でできているのは、中国の五行説に由来していて、魔除けとしての役割があります。もともと端午の節句とは厄除けの日ですから、鯉のぼりには欠かせないものですね。
矢車とは、上方のくるくる回る車輪のような形のもので、こちらも魔除けです。
矢車は矢羽根がつけられていて、矢で邪気を追い払うという意味があるのですね。
天球は一番上にある球体の飾りで、矢車と同じように風をうけて回ります。
神様を呼び降ろすもので、もともとは神社などでも使われる榊(さかき)などの葉を飾ったりもしていたそうです。
江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し
「江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し」とは、江戸っ子はこだわりがなく吹き流しのように気性がさっぱりしている、口先だけで意気地が無い、という意味で使われる慣用句です。
実は、端午の節句に「こいのぼり」を飾っていたのは最初は関東だけでした。
関西でもこの習慣ができたのはかなり後になってからだそうです。
まとめ
他の国の文化を取り込み日本文化に変えていくのが得意な日本ですが、「こいのぼり」もその一つなのですね。
ですが、発想のもととなったのは中国だとしても、「こいのぼり」は江戸で生まれたれっきとした日本文化です。
「登竜門」の伝説は有名で韓国などアジアに広く伝わっていますし、「端午の節句」は中国にも韓国にもあり、祝い方はそれぞれですがやはり魔除けや田植えに関連する行事だそうです。
しかしこの日に「鯉のぼり」を飾るのは日本だけなのでしょう。
鯉のぼりには、子どもの出世や健康を願う気持ちが込められています。
では鯉のぼりを飾る「端午の節句」とはどんな日でしょうか?
端午の節句についてはこちらの記事により詳しく書いていますので、宜しければどうぞ ^ ^ ↓
ありがとうございました。
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