アダムの創造
上の画像はシスティーナ礼拝堂の天井画の一部、最も有名な「アダムの創造」です。
神が、最初の人間であるアダムに命を吹き込もうとしている場面。
見始めたら釘付けになっちゃうのがミケランジェロの凄さですね、、。
この絵は、人間の最初の誕生を描いていますが、実は神の背景にある布は、人間の脳にそっくりだと言われてます。または布は子宮で、下の緑の帯がへその緒だとする研究家もいるそう。どちらにしても人間と深く関わりのあるもので、真実味がありますよね。
この天井画は、旧約聖書の「創世記」にある9つの話をモチーフに描かれています。
大きく分けると天地創造、アダムとイブ、そしてノアの物語になりますが、
天地創造の画面は時系列にそっては描かれていません。
この天井画をミケランジェロは体を痛めるなど、大変な苦労をして仕上げました。
礼拝堂では撮影禁止だったので、Wikipediaから画像をお借りしました〜
礼拝堂内には前にスタッフの方がたくさんいて、誰かがカメラを向けようとする度に、「No Photo!」って注意してました笑
最後の審判
そしてこちらが「最後の審判」です。
部屋に入ってこれを確認した時の感動はなんとも言えないです、、
まず天井画の「創世記」を先に見てから、「最後の審判」に目を移します。
天井画である「創世記」はミケランジェロが37歳の1512年に、
祭壇画の「最後の審判」は66歳の1541年に完成しました。
構図とモチーフ
「最後の審判」は、世界の終わりに全ての人間がキリストによって天国行きか地獄行きかを、
裁かれるという思想をモチーフにして描かれています。
イエスから見て右側が天国、左側が地獄として描かれていて、
これはキリスト教では右が善であり左が悪とされているためです。
ずーっと見ていても意味が分からなくて、気づいたら小1時間経っていました、、笑
ミケランジェロがどういう考えでこの人を描いたのか、どうしてこの表情なのか、どうしてこの構図にしたのか、絵の細かいところも大きいとこも、全く分からないので、何か掴もうとずっと観てました。
図像学とか勉強してみたいですね。
創作に至った過程なんかも面白くて、ユリウス二世によって「創世記」を、
クレメンス7世とパウルス3世に「最後の審判」の制作をそれぞれ任されたんですが、
ミケランジェロ自身は絵画より彫刻が好きだったので、最初は断ったそうです。
ただ、当時の最高権力者であった教皇たちには逆らえず、結局描くことになったとか笑
バルトロマイと自画像
「最後の審判」でイエスの右下にいる生皮を持った男は、バルトロマイというイエスの12人の使徒の1人で、アルメニアで宣教活動をしていた時に反感をかい、皮剥ぎの刑に遭いました。
その彼が持っている自分の皮は、ミケランジェロ自身がモデルになっていると言われています!
イエスのモデル
そして中央にいるイエスは、当時ミケランジェロの恋人だったと言われているトマソ・ガブリエーリがモデルと言われています。
儀典長への仕返し
ミケランジェロの制作中の絵に文句をつけた儀典長が、右下のもっとも地獄に近い位置に描き込まれてしまった話は有名ですね、笑
体に蛇が巻きつき、ロバの耳が生えてる地獄の王ミノスがその儀典長です。
人文主義
ミケランジェロが活動していた時代はルネサンス期(最後の審判はマニエリスムの先駆けと言われる)で、ルネサンスは古代ローマ、ギリシャの文化復興運動があった時代です。
人文主義文化に生きたミケランジェロも人間の肉体で「美」を表現しました。
それを理解できなかった儀典長のように、法王ピオ4世はミケランジェロの没後、絵に布を描きたしたりしました。
最後の審判や創世記は、1981〜94に日本テレビの支援で汚れが洗浄され、もともとの鮮やかな色の絵画を見れるようになったそうです。
この時に没後に描き足された布も一部は修正され、元の姿に戻りました。
ゲーテ
私の大好きな詩の1つ「5月の歌」の作者であるゲーテも、システィーナ礼拝堂を何度か訪れました。
ゲーテは、
”彼の作品を見た後では、自然さえも味わいを持たないほどだった、それは自分が彼ほど偉大な眼をもって自然をみることが出来ないからだ”
”1人の人間がどれほどの事を成しうるか、ここに来てみなければ分からない”
と言っていたそうです。
私にとっては、中学生の時にシスティーナ礼拝堂を知ってからずっと行きたいと思っていた夢が叶いました : )
こんなに早く叶うなんて思ってませんでしたが、こんなめちゃくちゃな旅をさせてくれている母親に改めて感謝です。
世界の始まりを天井画に描いたミケランジェロは、その後に任された祭壇画には世界の終わりを描いたんですね。そのモチーフのスケールの大きさに見合った、ものすごい大作でした。もう一度、必ず見たい作品です。
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